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回線業者が各個人からの通信を集めて、適当にまぜながら回線を有効に使えるように、というのがパケット通信の本来の目的です。
これがKDDの研究所とのプロジェクトでは、KDDの研究所側で効率よくなるように調整してくれて、実際にはKDDのパケット交換網の使用料は負担しませんでした。
けれども、もし払ったらいくらだろうと、だいたい見積りを出して私たちはその額を知っていました。
結局、通信量がどんどん増えてきたので、いつまでもKDDに負担してもらうわけにはいかなくなり、自分たちで払うことに決め、ではどうやったら効率よくパケット通信が使えるだろうと考えたわけです。
そのために、Iネットクラブというものをつくりました。
これは、いまだから明かせるような性質の話ですが、JUNETの研究クラブみたいなものとして、KDDの子会社のサービス事業部に、非公式な、税制上は同窓会のような組織として設置させてもらいました。
こインターネットの変速に、大学以外の民間の国際電子メールを集めてパケットを効率よく使って海外に送り出し、パケット交換料を集めました。
利用者へは、KDDからという形の請求書を出してもらいました。
これなら、国際電話料金と同じようなものなので各会社でも支出しやすい、こんな仕組みです。
この組織が実は日本のネットワークを重要な一時期支えてくれたのです。
東京大学大型計算機センター私はそのころ、東京工業大学から東京大学大型計算機センターに移っていました。
とにかく国際電子メールの量はどんどん多くなるので、受益者負担の原則から、KDDに回線料金を払わないわけにはいかないということが見えてきていました。
そこで、まずは研究費による実験と称してパケットを通したのです。
しかし、それもだんだん増えて、研究費があまりにかさむので、本当に研究なのかと、大学の事務のほうも気にしはじめるということになりました。
ところか、東京大学大型計算機センターというのは「全国共同利用施設」でしたから、それまでも、コンピュータの使用時間や使用ディスク容量について、大型計算機センターの事業として、課金していたのです。
この仕組みを使ったほうがいいのではないかということで、それぞれが出した国際電子メールの量に対して課金することにしたのです。
ところが、その舞台裏はたいへんなものでした。
仕組みとしては、いったん東京大学に、各利用者からの国際電子メールをためて、そこから外国に送り、それぞれのメールが使った情報量を数えて、それに応じて回線使用料を請求するというものでした。
ここで問題が生じました。
一章で説明したインターネットの仕組みを思い出していただきたいのですが、インターネットでは、―回の通信は「信頼性」がありません。
途中経路のコンピュータの負担を軽くするために、「たいがいつながる」くらいにしておき、「だめだったら何度でも再送する」ことによって、全体としての強靭さを達成しているわけです。
ですから当然、大型計算機センターについても、データが最終的にうまく送られないと再送要求が来て、自動的に再送するようなソフトウェアになっています。
すると、受け手側が調子か悪くても、こちら側から何度も再送します。
極端な場合には―個のメールを―〇〇回送り直すということが起こる。
そうすると、―回で行けば一〇〇〇円しかかからないような分量でも、何度も再送したがために一〇万円になったりする。
そしてインターネットの変遷その請求書が送り手側に行く。
そのようなことが実際に起こりました。
そのために研究費が底をついてしまった研究者が、実際にいます。
もちろん、そのような事業を運営している以上、大型計算機センターは事故の保険金のような資金をもっているので、とりあえずそれを充てて急場はしのぎましたが、こんなことが続くようでは、どうしようもありません。
私も激しく怒られました。
結局、このような課金の仕方とインターネットとは本質的に親和性が惑いということがわかりました。
インターネットは、再転送が必要だとコンピュータが思ったら、再転送が自由にできるということによって安全性を高めているわけです。
みんなか数珠つなぎで動くためには、できることをそれぞれがする、そのような分散型作業分担のモデルに、従量課金は適合しないのです。
学術情報センターこうして、インターネットは自前の専用線でやらなければいけないという結論に達しました。
しかし、完全な専用回線をもつということは資金面からも不可能でした。
そこで、文部省の学術情報センターがもっている専用線のパケット交換による端末サービスと、うまく融合する手法をとることにしました。
文部省は当初、「コンピュータ・ネットワークは国際標準で」と主張し、―方で電子メールサービスにも乗りだそうとして、すると世界には電子メールを「国際標準」でやっているところなどどこにもなくて、TCP/IPを採用せざるをえない―ジレンマに立っていたのですが、くわしい事情はここでは省きましょう。
とにかく、こうして初めてTCP/IPのパケットが太平洋を越えたのです。
一九八九年―月のことでした。
この、学術情報センターの回線に相乗りしていたのは、ごく短い期間でした。
そしてここでも回線料の負担は利用者に回さずにすみました。
ですから、日本のインターネットの歴史のなかでは、従量課金されたのは一瞬だということになります。
その当時は、従量課金しなければ不可能だという弱音が、各国あちこちにあったことは確かです。
ニュージーランドなどは、いまでも国際電子メールにだけは従量課金をしています。
さすがに課金システムそのものがある程度こなれたものになっていますが、やはりむずかしい。
どうしても大ざっぱなインターネットの変遷課金システムにならざるをえないわけです。
日本のインターネットは、課金のモデルや、誰が責任をとるのかというところで苦労しましたが、結局その後は、まず専用線を買って、いくら使ってもいい、そのかわりたくさん使うと混む、という状況のなかで推移してきたのです。
このような経験をしつつ、とにかく回線業者の回線をいちいち使うのでは、料金がたいへんかさむし、その負担を分ける方法もむずかしいということを痛感したので、国内も国際も専用線でやることに決めました。
最初は高いけれども、いったん回線を確保すれば、あとは定額なのでがんばろうと、趣旨書を書きました。
日本のインターネットを専用線だけでやるためには、だいたい年間で五〇〇〇万円要るから、―社五〇〇万円で一〇社と考え、資金を集めました。
このプロジェクトがWIDEです。
発足したのは一九八八年。
私が大型計算機センターにいて、課金システムに悩んでいたころです。
国立大学である東京大学にいなからこのような資金集めをするのはたいへんでしたが、何とかなりました。
あとは、実際の接続拠点をどうするかが問題でした。
一〇杜から資金を提供してもらったのだから、JUNETと―〇杜の企業とをつながなければいけないわけです。
しかし、東京大学という国家の資産と民間の企業とが直接結ばれるということは、なかなか心理的にもむずかしい。
インターネットは産学官の協同でやるべきだとは思っていても、まだ微妙なところがあったし、コンピュータ‥ネットワークの実験だと言っても、わかりにくいところもあったわけです。
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